「合わせ鏡〜Mirror〜」…オリジナル小説第2弾!
June 30, 2006  

~Introduction~

-合わせ鏡〜Mirror〜-

コネティカット州に住むリサは、ルーキーシーズン(高校1年)で ラクロスのコネティカット州選抜に選ばれるほどの実力者。 ラクロス部「タイガー・シャーク」ではMF(ミディ)を務める。

傑出した才能をもつ彼女だが、一部の仲間を除いて チームメイトをまったく信じようとしない。
試合後、祖父のロバートから祖母成子(せいこ)の形見である 手鏡を渡される。そして合わさった鏡の中で彼女は…

人と接する事、信じる事、分かり合う事…
誰もが抱える悩みの解決策が見つかるかもしれません。

June 30, 2006  

~Chapter 1 ~

-Tiger Shark-(イタチザメ)

 まだ生まれて間もない天然芝のフィールド。若々しい草木の香りが心地よい。風の流れと大地の息吹をシューズに感じながら、瞬時にフィールド全体を把握する。司令塔に求められているものは、幅広い視野、とっさの決断力、そして何より想像力(イマジネーション)だ。
  敵味方、すべての動きを先読みし、付きまとうマーカーを振り切ろうと、軸足に急激な負荷をかけ、右方向に90度方向転換すると、軸足が声高に悲鳴を上げる。観客から見れば、急激なフェイントとは思えず、相手に吹っ飛ばされたようにしか見えないだろう。左後方で、マーカーの舌打ちが聞こえる。
  「遅いよ、アンタ。」
  心の中で相手を嘲笑し、一瞥してつぶやく。視線の先にはレイナがいる。
  「レイナ!」
  同時に、味方のディフェンスリーダーに声をかける。チームカラーの蒼穹のマウスピースと同じ色で、蒼ざめたレイナが、正確に一呼吸半遅れ、ボールが一直線に送られてくる。
  「アンタも同じ!」

July 14, 2006  

~Chapter 2 ~

-Cradle- (クレードル)

 少し浮き球だったボールを、空中でクロスを絶妙に旋回させ、ボールを吸い込むようなタイミングで、スティックを引き、遠心力にまかせてキープし、そのままクレードルに入る。
  「ただのパス&キャッチなのに、どうしてこう遅いの…。」
  トッププレイヤーは、時速160kmものシュートを放つので、ラクロスは地上最速の球技と呼ばれている。ネイティブ・アメリカンの儀式の一環として行っていたものを、フランス系移民が発見し、僧侶の持つ「勺杖(シャクジョウ)」に似ていた事から、これをLa-Crosse(ラクロス)と呼ぶようになったことに由来する。
  男女のクロスの違いは、その先端部分にある網(ポケット)の深さで判断出来る。男子用は、ボール半分ほどのくぼみがあるが、女子用は、ほぼ平面状になっている。この全長100cm程のクロスが、今、私と一体になってフィールドを疾走している。

July 28, 2006  

~Chapter 3 ~シャノン

-Byerkut- (ベルクート〜ロシア語で「イヌワシ」〜)

 AT(アタック)のシャノンが、巧みにマーカーを外し、フリーになっているのは、ボールを受ける前から知っていた。サイドラインからゴールに向かう彼女の癖、速度、技量…。高校入学と同時に、州選抜の司令塔になった私と、まともにパス&キャッチが出来るのは、同じチームでは、シャノンとエリーしかいない。
  「シャノン、エリー…!」心で強く相手を想う。同時にサイドラインから、まるでイヌワシのように、中央に切り込んでくるシャノンにキラーパスを出す。金色のカーリーヘアーをなびかせる彼女は、巧みなクレードリングでスティックを旋回させ、ボールをキャッチしてシュートを決める。
「この州大会、優勝するよ!シャノン、エリー!」
エリー  シャノンに駆け寄り、髪の毛をくしゃくしゃにしながら、思いっきり抱きしめる。無口な彼女は、顔を紅潮させて、ただうなずくだけ。赤毛のエリーは、エンドラインに立っており、こちらにウインクをする。うまくディフェンスを引き付けてくれていたのだ。対照的に、周囲のノロマなチームメイトは、ただ俯いてフィールドに立っている。これがいつもと変わらない試合風景だった。

August 11, 2006  

~Chapter 4 ~

-Dead run- (全力疾走)

 ラクロスのフィールドは、皆が思っている以上に広い。約55m×100m、ゴールは僅か180cm四方の正方形、この中にボールを叩き込む。全力疾走で駆け抜けるMF(ミディ)は、頻繁に選手交代(フライ)をする。コーチのマクファーソンから選手交代(フライ)の指示が出る。上級生のジェシカが、「後は任せて」と言いながら、弾丸の様にフィールドに飛び出していった。
  「言うは易く行うは難し…ね。」(Saying is one thing and doing another)
  マウスピースを外して、乾燥しきった口の中を冷たい水でゆすぐ。タオルで口元を拭きながら、横目でフィールドを見渡すと、明らかに試合の主導権が、相手側に入れ替わっている。サングラスで、目の表情を消しているつもりのマクファーソンの努力も無駄だった。どんなスポーツでも共通して言えるが、短時間で試合の流れは大きく変化する。

August 25, 2006  

~Chapter 5 ~リサ

-I'm on my way- (行くわよ)

 「コーチ、大丈夫です。行かせて下さい。」
私は、努めて冷静な声でコーチに同意を求める。ジェシカは、融通の利かない性格で、プレーにも性格が如実に反映されていた。想像力のないパス、決まりきったフェイント。ラクロスの教本があれば、いい見本になるだろう。「独創性の欠如したプレー」という項目があればの話だけど。
  「リ、リサ…後は…任せ…。」
  たった数分で、完全にフィールドに円舞曲(ワルツ)を踊らされた姫君のご帰還。肩で息をしているのが誰の目からもはっきりとわかる。ハイタッチを要求するジェシカを無視して、私は毒づいた。
「次の選手交代(フライ)はないわ。踊りたいなら、ベンチで踊ればいい。」
一瞬でジェシカの表情が、悔しさと憎しみが入り混じって変化していく。私にとって、力のない仲間は必要ない。馴れ合いばかりで、努力もせず這い上がれるほど、この世の中は甘くない。蒼穹のマウスピースをはめながら、舞台に飛び出し、次々と的確に勝つための指示を出していく。

Sept. 8, 2006  

~Chapter 6 ~リサ

-Have a nice day- (ハヴ・ア・ナイス・デイ)

 「あんなこと…」
  その一方で心の声がそう叫んでいた。ジェシカを傷つけたことは間違いない。背中越しに彼女の苦痛を感じることが出来たからだ。ベンチにも座らず、タオルを頭からかけたまま、顔を覆い隠し、フィールドに背を向けた彼女が、まるで目の前にいるようだった。
  「うっぐ!」
  脇腹へのプレッシャーで息を詰まらせる。女子ラクロスは、男子とは異なり、ボディチェックはファウルになる。それでも、ルーズボール以外でのプレッシャーや駆け引きは、いつだって行われている。どうやらご丁寧にマーカーをもう1人増やしてくれたようだ。
  「もうあなたの出番はないわ。おとなしくしなさい。」 マーカーが背後で低い声でぼそっと呟く。
  「負けない…誰にも…誰にも負けない…!!アヴリル!!こっち!!」
   左右に揺さぶりをかけ、急転回して、自然と前のめりになっていく上半身を重力に任せる。
  「ここで、右…!出ろ!」
  観客全員が私の転倒を予測した瞬間、右足が次のステップの第一歩となり、小うるさい
マーカー2人を同時に抜き去る。深い栗色の髪がせせらぎのように新緑のフィールドに舞う。
  「ごきげんよう、レディース。…想像力のない人間に翼はないのよ!」

Sept. 22, 2006  

~Chapter 7 ~

-State of Connecticut- (コネチカット州)

 ブレインヴィル・ハイスクールが誇る通称「常緑樹通り」(evergreen blvd)の木立の影から、新設されたラクロスフィールドを見下ろす1人の老人がいる。ロバート・マクヴィルにとって、ブリッジボートの風は、静かなコネチカット州の中で「喧騒」と「せわしなさ」の成分が化学反応を起こした、ざらついた風のように思える。
  州都ハートフォードより、人口はブリッジボートの方が多い。郊外のグリニッジは、最愛の妻、成子(セイコ)と同じ日本人が数多く居住する街としても有名だ。
  彼の孫娘は、ショートクロス(ATとMFが使う短いクロス)を巧みに操り、独特のクレードリングと、卓越した身体能力で、相手選手を翻弄し、観客の注目を集めているが、贔屓目に見ても、年齢を重ねる度、成子(セイコ)そっくりになっていくリサは、実力は突出しているが、明らかにチーム全体の調和(ハーモニー)を欠く存在に思えてならなかった。
  「一番多く実のなった枝が一番低く頭を垂れる(The boughs that bear most hang lowest)…リサ、わからないお前でもないだろう…。」

Oct. 6, 2006  

~Chapter 8 ~

-Gungnir- (グングニル)

 リサは昨年、ルーキー・シーズンであるにも関わらず、コネチカット州のMVPに選出された。「グングニル」(Gungnir)と名付けられたショートクロスは、穂先の網(ポケット)の中でボールが揺さぶられ、遠心力を最大限利用し、ボールは意思を持った白鳥へと変貌を遂げる。白鳥が大空を羽ばたく度、フィールドに新しい魔法が次々と紡ぎ出されてゆく。
  「成子(セイコ)…リサは、自分が過ちを犯していることに気が付いていないようだ。」
生涯の記憶の一部は、皺となって両手に刻み込まれる。ロバートは、愛妻が残した漆塗りの手鏡を胸の中央で握り締め、今は亡き愛妻に、苦笑交じりで問い掛けていた。鏡細工は、桜と鶴が華々しく舞っている姿が施されており、美術品としても、逸品である事に間違いはない。
  「こっちが見えないの!?ナタリー!!あっ…もう!!!」
  「だ、だって…クッ」 リサの苛立ちは限界(ピーク)に達していた。

Oct. 20, 2006  

~Chapter 9 ~

-Desperado- (ならず者)

 LMF(ロングミディ)のナタリーも、リサの発する一言一句に怯えていた。LMFは、ディフェンスしか持つ事の許されないロングクロス(長いスティック)をMFの中で、唯1人、持つ事が許される守備的MFを指す。
  「Es ist mir Wurst.(どうでもいいわ)」
  リサは小声でつぶやくと、「頼った私が馬鹿だった」とでも言うように、ナタリーの横をすり抜けていく。「予選突破が目標じゃない。優勝しなければ意味なんてない。」心の中で何度も繰り返す。そしてリサは、再度ゴールという名の獲物に狙いを定めた。
  ノースブリッチボート高ラクロス部「タイガー・シャーク」の名は伊達じゃない。400種類以上のサメが世界に生息しているが、人間にとって危険なサメは、ホホジロザメ、イタチザメ、オオメジロザメの3種類しかいない。イタチザメは、背中の縞模様がトラの模様に似ていたことに由来する。
  チームのユニフォームと巻きスカートにも、黒いストライプの意匠が凝らされている。まるで浅瀬に入り込む太陽の光のように美しい模様であるのと同時に、それは美しい狩人が、獲物に近づく為のカモフラージュであることに多くのものは気が付かず、その餌食となっていた。

Nov. 3, 2006  

~Chapter 10 ~

-Queen of diamonds- (ダイヤのクイーン)

 試合終了のホイッスルがフィールドに鳴り響く。首をもたげて、ゆっくりと瞼を閉じ、ため息をつく。シャノンとエリーは、二人は揃って私にウィンクをした。自然と笑みがこぼれてくる。でも、他のチームメイトは、同じようにただ俯き、笑顔を構成する微粒子の一片すら、表情に見る事は出来ない。
  「勝ったんだから、喜びなさいよ…。」
  グングニルの網(ポケット)を背中に廻し、深紅の柄を右肩に乗せたまま軽く二回首を回す。ベンチに目を配ると、コーチのマクファーソンが上機嫌ではしゃいでいた。
  「特に後半は、リサにサンダー・ボルトのマーカーが集まった分、シャノンとエリーがフリーに…」
  マクファーソンの独り言にも似た試合の総括が、うわずった声色で始まっている。いちいち話の中に、今日の格言(ヒップ・トゥディ)や教訓を入れたがるタイプだ。しかも、選手ではなく、応援に来た観客や保護者に向かって演説ぶるから始末に終えない。

Nov. 20, 2006  

~Chapter 11~

-Robert- (ロバート)

 「ブレインヴィルは、撒餌ごと腕をタイガー・シャーク(イタチザメ)に持っていかれたね。」
  私はマウスピースを外し、早々に帰り支度を済ませようとしていた背後から、聞き覚えのある声に思わず反応した。反射的に満面の笑みになっていた。ゆっくり背後を振り返ると、日本のサムエ(作務衣)を着た大好きな顔がそこにあった。
  「ロバート!!」
  「あはは、リサ、おめでとう。」
ロバート・マクヴィル。私の大好きなグランパ。小さい頃は、いつも着物を着ていた成子グランマと一緒に、あちこちに連れて行ってくれた。グランマがこの世界からいなくなった時、グランパは葬式の間中、一滴の涙も流さなかった。ただ、全てが終わった後、雨が降りしきる中、墓標を抱きしめ、半日以上、嗚咽と号泣を繰り返していた。
  「それ、いい例えね、ロバート。」
  「撒餌ごと腕を食いちぎられるってやつかい?」

Dec. 1, 2006  

~Chapter 12~

-Barbarossa- (バルバロッサ)

 実際、ブレインヴィル高のサンダー・ボルトは、後半から巧緻な罠を仕掛けてきた。徹底的なマークを私につけ、前半これといって目立たなかったエリーを技量的に劣ると読んで、彼女にボールを集中させ、カウンターで反撃しようと試みたのだ。前半エリーは、自ら囮(デコイ)となって、最終ラインを撹乱させていたのを、誤った判断で分析し、前向きな結論を導き出したのだろう。
  「アイツら、ものすごい顔をしてエリーを眺めていたもの。」
  思い出しただけで、思わず噴き出そうになる。
  サンダー・ボルトの作戦は、エリーにボールを集中させる所までは、ほぼ描いた図面通りに成功していた。エリーにボールが渡った瞬間、相手は作戦が成功したことを確信し、心の中で勝利の口笛を吹きながらステップを踏んだことだろう。ただ、彼女を運動量だけの選手だと思い込んだのが、サンダー・ボルトの破滅への序曲(オーバチュア)だった。高い授業料を支払った代価として、その身体を生贄にしたのだ。後半は、いいようにエリーの個人技に翻弄されたのだから。
  「百聞は一見にしかず(Seeing is believing.)。赤毛はアンと相場が決まっているみたいだけど、エリーのニックネームは赤髭王(バルバロッサ)。本の表紙で内容は判断出来ないのよ。」

Dec. 18, 2006  

~Chapter 13~

-Antique mirror- (アンティークの鏡)

 「州大会はこれからだね。森を出る前に歓声をあげるな(Don't halloo till you are out of the wood)だよ、リサ。」
夕暮れのやわらかな光が、グランパの手にある骨董品(アンティーク)の手鏡にあたり、さっきから周囲の車のウィンドウガラスや、サイドミラーに当たって乱反射している。まるで光のプリズムが、私を覆い隠そうとしているようだ。
  「わかっているよ、でも、シャノンとエリー以外はやろうともしないから…。」
  「リサ、私のかわいいリサ、よく聞いてくれ。悲しいことだが、人は誰しも平等に生まれてくる訳じゃない。誰もがラクロスの才能を持って生まれてくるとは限らない…。」
  「グランパ!わ、私だって何もしなくてここまで来たわけじゃない!人の何倍も努力して…。あいつらは…何でも「才能」だとか「天才」っていう言葉だけで判断するんだよ!?」
瞳に涙を浮かべながら、リサは大声でロバートの言葉をさえぎった。心の奥底から出ている「本音」が言葉を借りて、この世界に具現化している。

Jan. 13, 2007  

~Chapter 14~

-Genius is…- (天才は…)

 「リサ…私がお前の努力を知らないと思っているのかい?勿論わかっている。天才とは1%ひらめきの99%の汗(Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration)とは、エジソンもよく言ったものだ。
  ただ、いくら汗を流しても、わずか1%のひらめきがなければ、天才にはなれないんだよ。どんなに努力して、そうなりたいと思ってもね。だから、お前は人の何倍も努力をし、ひらめきがあればこそ芽が出た事は、誰よりも私が知っている。普段のお前は、誰よりも心が優しいのに、ラクロスの事となると夢中になって、チームメイトにも厳しく接してしまうね…。まぁ、これを見てご覧?」
  ロバートはいたずらっぽく笑うと、身だしなみを整える簡易鏡を取り出して、愛する孫に骨董品の手鏡と簡易鏡を差し出した。落ち着きを取り戻したリサは、こっくりと頷き、涙を拭いながら話を聞き始めた。

Jan. 26, 2007  

~Chapter 15~

-The mirror is a wizard- (鏡の魔術師)

 「鏡は我々の一番身近にいる魔法使いとも言える。リサ、合わせ鏡を知っているかい?鏡と鏡を合わせると、物体が複数に見えるよね?あれは鏡に映る物体の数=(360÷鏡の角度)-物体の数で割り出すことが出来るんだ。こう…鏡の角度を45°にしてやれば…360÷45-1=7になるから…7人のリサが映っているだろう。他の可能性を秘めたお前は無限にいるんだよ。」
  日本の神話では、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そして八咫鏡(やたのかがみ)が三種の神器として語り継がれている。鏡は昔から世界各地で不思議な道具として伝えられている。鏡はその中に決して存在しない世界を映し出す。
  「あれも私…これも私…」リサの意識が段々とぼやけてきた。無限の回廊に映る7人の自分の姿が、それぞれの理由と摂理で、頭の中に問い掛けてくる。
  「リサ、リサ!!」 誰かが必死で私を呼んでいる。 「あれ?グランマの声だ…。」
意識が呼び戻される瞬間、簡易鏡がこなごなに砕け散る音が耳元ではっきりと聞こえた。真っ白にまばゆく光る渦に飲み込まれながら、無数に砕け散った鏡に何人もの自分がいる…。
 「私…どうなるの…」

Feb. 9, 2007  

~Chapter 16~

-After the festival- (祭りの後)

 日本は欧米諸国と肩を並べようと、富国強兵を図り、対外戦争に勝利し、西洋文明を貪欲に吸収していった。今は祭りの後。私は、眠れる獅子と揶揄される「大正の御世」に生きている。
  近代化の波は明治以降、京の町にも押し寄せた。国鉄の京都駅が着々と整備され、京都電鉄と市営電鉄の激しい客の奪い合いもおこった。その結果、6年前の大正7年に京都市が京電を買収し、市内を駆け巡る市電が黄金期を迎えている。
  「魔よけが町中にあるのも可笑しなものね。ま、近道出来るからいいけど。」
  竹のざわめきと背中合わせに、京の町屋に棲む人々は日々生活をしている。少女は着物姿のまま、すっと竹薮に入り、慣れた手つきで笹や木々の枝をよけながら、竹林の中を疾走していた。竹は清浄な植物とされる。古来より、京都は魔都と言われる程、争いが絶えない町だった。古来より「破魔」の力がある竹が、ここ万魔殿(パンデモニウム)にはお似合いだ。
  「想像するだけで、鳥肌が立つ…あれは何?クゥ…!」
  数十メートル先で、目を覆うばかりの真っ白い閃光がはじけて成子を包み込んでいった。

Feb. 23, 2007  

~Chapter 17~



-28 September 1914 Kyoto- (1914年9月28日 京都)

 成子は左手の隙間から、少しでも周囲の状況を確かめようと試みた。徐々にではあるが、失われた視力は回復の兆しを見せている。白以外の色彩が世界を彩り本来の形を現すと、閃光が弾け飛んだ周辺だけ、きれいさっぱり竹薮が姿を消していた。
  京の町並みは、細かいエレメントの集合体として形成されている。 エレメント間のすき間が外気と触れる形になっており、町中にモザイク状の竹林が点在している。
  「竹が消えてる…あ、あれは何?」
  円形状に消えた竹薮の中で、1人の少女がうずくまっていた。気が動転しながらも、成子はその少女の下へ駆け寄っていった。その少女は、肌が露になった紫色の上着を着ており、長い栗色の髪がまるでタンポポの綿毛のように乱れていた。大正初期の女性は、華族階級や教員を除いて和服が主流で、学生の成子も行灯袴を着ており、喫茶店の女給も徐々に洋服を着るようになっていたが、こんな大胆な洋服を成子は、かつて見たことがなかった。
  「う…ううぅん。」 無意識に身体を反らせた少女を見て、成子は驚きの声をあげた。

March 9, 2007  

~Chapter 18~

-Time axis- (時間軸)

  まるで目覚し時計が頭の中で鳴り響いているようだった。人とも、獣とも思えない叫び声が、頭の中で繰り返されている。毎朝、ママにベッドから起こされる感覚に似ていたが、唯一、感触が違うのはその寝心地だった。素肌に触れる部分はチクチクしていて、土の匂いがしていたからだ。
  安眠を妨げられたリサが渋々意識を覚醒させようと瞳を開いたその先には、信じられない事に、昔写真で見たことがある若かりし日のグランマにそっくりな着物姿の女性が立っていた。
  「冗談…夢なら性質が悪いし、現実なら始末が悪いわ。」 思わずリサは失笑する。
  「本当の外人さんだ…。え、英語しゃべっている…ど、どうしよう。」
  グランマに似た女性がしゃべっている言葉が日本語であろうことは理解出来た。クォーターのリサの体内にも日本人の血が流れており、何度も成子の口から聞いた事があったからだ。
  「大丈夫ですか?」 
  リサは驚愕した。たどたどしかったが、流れ出た言葉は紛れもなく英語だったからだ。

March 23, 2007  

~Chapter 19~



-What a nightmare!- (なんて悪夢なの!)

 「随分と手の込んだジョークね・・・。誰の差し金?レイナ?それともジェシカ?」
  リサは極めて冷静さを装い、軽く手で小川のせせらぎのような栗色の髪を整えながら言った。
  「ここはどこ?アンタはなんで着物を着ているの?いい加減にしてよ!」
  しかし、その必死の努力もすぐに無駄に終わった。本能が理性を上回るのに数秒とかからなかったし、目の前に立っている着物姿の少女に、こみ上げてくる感情を剥き出しにしていた。
  「ここは京都よ。ごめんなさい、全部理解出来ないの。私の名前はセイコ。お名前は?」
  成子と名乗る女性は、慣れない英語を駆使して、必死でリサと会話をしようと全身を震わせながら笑顔を作っていた。その笑顔は、間違いなく亡くなったグランマにそっくりだった。
  「でも怖いのはあなたも同じか…。」 
  頭上の青空を見上げて深呼吸すると、リサは成子を見据え、手を差し出しながらこう言った。 
  「大声を出してしまってごめんなさい。私の名前はリサよ、よろしくセイコ。」

April 6, 2007  

~Chapter 20 ~



-Camisole- (キャミソール)

 「随分、可笑しな洋服を着ているのね。」
  「これ?セイコの服ほど可笑しくないと思うけど。普通よ、フ・ツ・ウ。」
  リサは苦笑しながら、キャミソールの紐を所在無く引っ張って見せた。ひとまず成子の家に行くこととなった。彼女の家は理髪店を経営しており、常連客で、英語に詳しい「ガクセイサン」(学生さん=京都帝国大生)に通訳を頼むと言う。彼女は、この大学生から英語を習っているらしい。
  「ほら、あそこが我が家よ。」
  竹林を抜けると、大きな通りに出た。セイコが指差す先には、店先でチェスらしきゲームに熱中している男性が2人いた。恐らく、若い男の方が「ガクセイサン」なのだろう。
  「ヒロシさん、ねぇ、ヒロシさん、お願いがあるの。」
  そう呼びかけられた若い男性は、煙草を咥え両腕を組み、将棋盤を見据えていたが、セイコに呼びかけられ、不承不承、盤から視線を転じると、目の前に広がる光景にあっけにとられ、煙草は重力の法則に従って、地面に向かって自然落下した。
  「綺麗なお嬢さん、そ、そいつは新しい下着かい?」

April 20, 2007  

~Chapter 21~

-I did it my way- (思うままに生きた)

 ヒロシという眼鏡をかけた青年は、25歳の大学生だった。専攻は英文学で、充分なコミュニケーション能力を有しているのが、自己紹介の会話の中ですぐにわかった。
  紆余曲折の末、ガクセイサンになったそうだが、自由な校風が肌にあったらしく、京都での新生活を始めたという。面白いと思ったことには、何でも首を突っ込む性質らしく、東京にいる友人達に誘われ小説を書いたり、各種スポーツは勿論、賭け事もしたりと趣味も多彩な人物だった。
  「やりたいように生きているだけさ。」 新しい煙草に火をつけながら、そう彼は呟いた。
  「私もそう!フランク・シナトラ…っていっても分からないか…。アメリカの有名な歌手も「MY WAY」って曲でそう歌っていたの。ボン・ジョヴィもIT'S MY LIFEでフランキーの事を…」
  「残念ながらフランキーさんは知らないが・・・」 ヒロシはリサを遮ってこう言った。
  「思うままに生きるっていうのはひどく難しい。孤独だが何とかやっていられるのも、仲間に支えられているからさ。人は誰しも1人では生きられないからね。」

May 11, 2007  

~Chapter 22~

-28 November 1913 Karasumori- (1913年11月28日 烏森)

 東京駅の開設まであと1年。東海道線の起点が変更され、ここ烏森も「新橋」と改称されることになっている。リュウは咳き込みながら、路地裏の店の看板を確認しては、ヒロシが出入りしそうな店を何軒も回っていた。
  入口の窓ガラスに白ペンキで店名が殴り書きされた扉の前に立ち、リュウは軋むドアノブをゆっくりと回す。思ったよりスムーズに扉は開いたが、開かれたドアの隙間から、一気に霧がかったタバコの煙が周囲に充満した。
  「風の流れが変わる…な。」
  背もたれに身体を投げ出したまま、両手で大きく伸びをすると、疲れと共にあくびが自然と流れ出してくる。
 ヒロシは、咥えていた煙草を大きく吸い込み、煙で器用に輪を作り、ゆっくり吐き出しながら呟いた。薄く開いた扉の先に、旧知の親友の姿をとらえていたからだ。

May 25, 2007  

~Chapter 23~

-Mah-jongg- (麻雀)

 麻雀は136枚の牌(パイ)が使われ、萬子(マンズ)・筒子(ピンズ)・索子(ソーズ)・字牌(ツーパイ)と言った牌の組み合わせ(役)で勝敗が決まる。
  全員の合計点数が常に一定(ゼロ・サム)であるため、点数のやりとりをそのまま掛け金の換算に用いるので、大抵の場合、金品が賭けられる。つい最近、大陸から伝わってきた娯楽で、ルールなどは、日数単位で変わっているのが現状だ。 
  リュウは、左手でむせぶ口元を抑え、目を細めて険しい表情なると、正比例するように、店内の客から、嫌悪感と一種の殺気に似た視線が注がれる。店内を見渡す視線の先に、ひらりひらりと右手をあげ、自分を呼ぶヒロシの姿が視界に飛び込んできた。
  「どこまで人を愚弄すれば…!」
  血色の良い顔とは言えない、やせ細った病人のような面立ちのリュウの顔色が、この時ばかりは、一気に紅に染まり、怒りの矛先はただ一点のみに集中した。
  「お、お前…!!」

June 8, 2007  

~Chapter 24~

-Glory Days- (栄光の日々)

 「君も麻雀を始めたのか?趣味を広げる事はいい。知識を広げ、人生を豊かにして…。」
  「他人事(ひとごと)ではない!」 
  リュウの咆哮と同時に、右拳がうなりをあげ、半瞬後、振り下ろされた鉄槌は、的確に親友の左頬を捉えていた。
  「この2日、どこに雲隠れしていた!どれだけ探し回ったと思っている!恩義ある人たちに、君は唾を吐くつもりか!折角、京都でやり直しが出来るというのに…」
 瞬時にヒロシの口内で血の味がぱっと広がる。
  「俺がそんな人間に見えるのか・・・?」 左手で流れ出た血を拭いながらヒロシは答える。
  豪放磊落、大胆不敵。ゲーム(遊び)であろうと、勝負事で負ける事が許せない性質だが、人を庇い、時に濡れ衣を着る事さえ厭わない漢(おとこ)だ。24、25歳で、これまで幾度となく、常人ならとっくに屈している挫折を何度も経験してきた事を、誰よりも親友であるリュウがよく知っていた。
  「誓って、君を一度も疑った事はない。心配しているのだ。」

June 22, 2007  

~Chapter 25~

-These Days- (最近じゃ…)

 「ヒロシさんが昔の話をしているの?珍しい。」
  お茶と和菓子を皆に配り、クスクスと笑いながら成子が問い掛けた。
  「あはははは。リサの話も聞いたからね。そのお礼さ。」
  最後1本に火をつけて空箱を潰し、ゆっくりと味わうように、深くタバコを吸い込むと、微笑みと共に虚空に舞う煙をヒロシは眺めていた。その中に友人の影を重ね合わせるように。
  「あなたは、親友に恵まれているのね。私は最悪。チームメイトで<使える>人間は数人しかいなくて、最近こいつらときたら…。」
  うんざりしたといった態で、リサがため息混じりに不満を吐き出した。
  「よく聞き取れなかったが、使えるとか何とか・・・」
  「そう、役に立つ、使える人間よ。」
  「リサ!」 ヒロシの怒号が辺り一面に響きわたった。
  「仲間も友達も同じだ。「信用」するものじゃない「信頼」するものじゃないのか?」

July 6, 2007  

~Chapter 26~

-So what?- (それがどうした?)

 「信用も信頼も同じ単語(trust)じゃない!」
  「それがどうした?」
  この世界で最強とも言える「反論を許さない言葉」をヒロシは口にした。
  「英語表現の差なんかわかるものか。でもな、「信用」は相手を「信じて用いる」こと。つまり、物事などを信じて用いる関係だ。「信頼」は相手を全面的に「信じて頼る」ことを意味するものだ。」
  「・・・」
  「君に必要なのは、自分を信じ、他者を受け容れ、すべきことを成し遂げ、仲間を信頼すること。本当の自分、すべきことを見出す、そして、見出したものを信じて疑わない・・・そこから始めるべきなんじゃないか、リサ。」
  「アイツらが・・・。」
  ヒロシは苦笑混じりに言葉を続けた。
  「お節介ついでにいい事を教えてやろう。特別に教授料はタダにしてやる。」

July 20, 2007  

~Chapter 27~

-Let's go- (行こう!)

 「ボスとリーダーの違い?」
  「そう。」 成子に煎れてもらった日本茶を啜りながら、ヒロシはゆっくりと話し始めた。
  「君の言う<ラクロス>というスポーツは知らないが・・・。チームプレイを必要とするものなら、どんなものにも共通して言えることがある。つまり、ボスとリーダーの違いは、ボスは「行け!」、リーダーは「行こう!」と言うことさ。(The difference between a boss and a leader: a boss says, "Go!" - a leader says, "Let's go!")そう思わないか?」
  「あっ・・・」
  「君はリーダーを任されるだけの才能がある。フィールドに監督は2人いらない。フィールドの中でチームをまとめ、魔法を紡ぎだすのは、リーダーの範疇さ。君なら出来るよ、リサ。」
  完敗といった態で、肩をすくめつつも、満面の笑みでリサは答えた。
  「君なら出来る・・・タダで教えてやる・・・その言葉で今まで何人道を誤ったことかしら」

August 3, 2007  

~Chapter 28~

-Stay humble- (謙虚でいなさい)

 「優れた人ほど謙虚な人(The more noble the more humble.)」
  「え?」
  「優れた人ほど謙虚な人(The more noble the more humble.)って言ったの」
  成子は微笑みながら、同じ言葉を二度繰り返した。英語が間違っていないか、ヒロシに目配せをしたが、ヒロシは、教え子の解答に満足した教師のような面持ちで、瞳を閉じ、腕を組みながら頷くだけだった。
  「おば・・・セ、セイコも結構しゃべれるじゃない!」
  「家庭教師がいいからだろう・・・日常会話程度ならまったく問題ないよ。」
  ヒロシは無精ひげをこすりながら自信たっぷりに断言した。成子の英語の家庭教師になったというのも、実は、成子の父が近隣でも有名な将棋名人で、下宿先が近かったこともあり、指南を仰いでいたが、さすが申し訳ない気持ちになって、自分に出来ることはないか尋ねたところ、成子の父からあった申し出が「成子の英語の家庭教師」だったという訳だ。

August 17, 2007  

~Chapter 29~

-Never say die- (ダメだなんて言うな!)

 大正時代に入り、女性の権利が日本でも叫ばれるようになったが、女性参政権が実現したのは、1925年(大正14)で、歴史はこれから10年の年月を必要としていた。
  日本だけでなく、欧米社会でも、社会参加は男性が行い、女性は男性を支えるという意識が強く、多くの国々で女性参政権が実現したのは、19世紀から20世紀初頭にかけてである。
  成子の父親の先見性は、当時としては画期的なものだったが、リサにとっては当たり前なので、成子が「英語を学ぶ」という価値がわかっていなかった。
  「日本でも、英語を必須で勉強しているっていうし、ステイツの留学生だって山ほどいるわ」
  「でも、今の日本は・・・」 成子は苦笑しつつ、首を横に振った。
  「今の日本がどうだか知らないけど、やる前から無理だなんて言わないでよ」
  「・・・うん。わかっている。ねぇ、リサならわかるでしょ?「マタイによる福音書」第26章・・・」
  「剣をさやに納めよ。剣を抜く者は皆、剣で滅びる。(Put your sword back into its place; for all those who take up the sword shall perish by the sword)でしょ?」 
  リサは苦笑しつつ言葉をつなげた。「ごめんね、私、口が悪いのは充分自覚しているのよ」

August 31, 2007  

~Chapter 30 ~

-Going where the wind brows- (風に任せて)

 「時には立ち向かうだけじゃなく、風に身をまかせるのも悪くない」
  ヒロシはそよ風を遮るように、左手で自前の防風林を築き、少しかがみこみながら、新しいタバコに火をつけながら、そう言った。
  「お前さんは、何でも背負い込んでしまう性質(たち)だろう?そんなに頑張らなくていい。常に100%の力を出すのは構わない。それでも、自分の心の中では80%しかやっていないって思う事。心に余裕ってやつがないと、いずれ自分自身を殺してしまう。一番の誇りは、決して倒れない事ではなく、倒れる度に立ち上がってくる事さ(Our greatest glory consists not in never falling, but in rising every time we fall.)。負けても、逃げてもいいんだ。そんなに頑張らなくて」
  涙が溢れ出て止まらなかった。ずっと探していた言葉を聞けた喜びが、リサの心の奥底ある防波堤を決壊させたのだ。

Sept. 14, 2007  

~Chapter 31~

-Do you believing magic?- (魔法を信じる?)

 「いつ以来だろう、こんなに泣いたのは・・・」
  ヒロシも成子も、やさしく肩を抱いたり、余計な言葉は一切かけたりしなかった。こういう時に、そうすることの無意味さを知っているからだ。しばらくして落ち着きを取り戻したリサは、上目使いで2人にゆっくりと、そして勇気を振り絞って言葉を紡いだ。
  「ねぇ…魔法って信じる?」
  成子はあっけにとられていたが、ヒロシは不敵な笑みを携え、まるで、何もかもを見通しているような瞳で、リサを見つめていた。
  「さっき聞いた合わせ鏡の話…。にわかには信じがたいが、現に君はココにいる。まぁ、未来は結構いい世界らしい。その下着みたいな洋服が、この日本でも拝めるのだからな。」
  「あ、あたしは、本気で…」
  「信じている。君も魔法もな。」 静かにヒロシは、決意を秘めた口調で呟いた。

Sept. 28, 2007  

~Chapter 32~

-Water line- (水線)

 「鏡の起源は古く、水面に映った水鏡が始まりだ。鏡に映った自分を見ることが、自己認識の第一歩といえるだろう。つまり、客観的に自分を見るという事だ」
  リサと成子は、表裏一体の鏡の様に、同じ面持ちでヒロシを見つめていた。
  「自分が映るということに、神秘性を抱いたのだろう。‘鏡の向うに別の世界がある'というのは、世界各地で見られるし、決して珍しい事じゃない。まぁ、世界の‘こちら'と‘あちら'といった感じだろうな。英語のグラスもガラスもレンズとしてだけではなく、鏡の意味もあるだろう?」
  ヒロシは、タバコに火をつけ、深く一服すると、続けて言った。
  「鏡は姿見(Looking Glass)とも言われる。20年程前に、イギリスで‘デイリー・ミラー'という新聞が発行された。これは、鏡の様に真実を伝えるという意味が込められているのさ」
  あっけに取られた二人を尻目に、ヒロシは手組みしながら、2人を交互に見つめてこう言った。
  「ここにいるのは、偶然じゃなく必然だ、リサ。この旅で、君は何か見つけたかい?」

Oct. 12, 2007  

~Chapter 33~

-Why don't you try at all?- (どうして何もしようとしない?)

 「少し歩こうか?リサ。成子ちゃんは、ここで待っていてくれるかい?」
  ひどく真剣なヒロシの眼差しが、成子から興味より理性を選ばせた結果、「うん」と一言だけ、成子に返事をさせた。
  タバコを揉み消すと、ヒロシは腰を上げ、両手をズボンのポケットに突っ込みながら、飄々と歩き出した。歩き方は、世界で共通する勝負師(ギャンブラー)のそれと同じだった。
  「あの…私…セイコは…セイコは…」
  「君に縁のある人なのだろう、きっと。」
  「えっ?…あ、あなたは…」
  「世の中には言わなくていい事もある。口に出す必要のない言葉もある」
  ヒロシは、苦笑とも取れる表情になっていたのを、リサに敏感に読み取られていた事を気が付いていなかった。
  きっとおばあちゃんを好きなんだ…でも、私の存在で分かってしまった、この人は…
  「まぁ、そんな顔しなさんな。君こそどうして何もしようとしないんだい?」

Oct. 26, 2007  

~Chapter 34~

-Signal - (きっかけ)

 「何もしないってどういう意味?」
  リサは、冷静さを完全に装う事は出来なかった。身体の内部で、怒気が理性を凌駕し、表情の堤防さえも決壊しそうだったからだ。
  「相当、カッカしてるって事は、思い当たる節があるのだろう?…こいつは、お節介ついでに言わせて貰うのだが、やり直しの出来ない人生なんてないんだよ」
  ヒロシは、自分の過去を重ね合わせながら、ゆっくりと言葉を紡いでいった。両親に迷惑をかけたこと、友人を庇い、学校を辞めざるを得なかったこと、周囲の人に助けられたこと…そして、何よりも今、京都にあるのは、ほかならぬリュウのおかげだということ。
  「人生、いいこともあれば悪いこともある。未だに付き合いのあるやつもいれば、音信不通になったやつもいる。変わった場所もあれば、変わらない場所もある…まぁ、俺は全部ひっくるめて、自分の人生ってやつを結構気に入っているのさ」
  「…」
  「変わりたいなら、今からでも始められる。リサ、自分を責めるな、許してやれ。同じように他人も許せるようになるはず。きっかけなんて些細なものさ」

Nov. 9, 2007  

~Final Chapter~

-In My Life- (この人生)

 新緑に溶け込んでしまいそうな、成子の姿がただ眩しかった。ヒロシは、神仏は信じないタチの人間だが、もしかしたら、神様や仏様が、この現世に使わした女神や巫女に違いないとも思えるのだった。
  「リサ、あの子はきっと、日本という国の枠組みを軽く乗り越えて、違う世界へと飛び立っていくだろう。その最たる手段がコミュニケーション能力として必要な語学、つまり英語だ。別の言語を知るという事は、他の国を知るという事に他ならないから…」
  「ヒロシは、ヒロシは…」
  リサはわかってしまった。ヒロシは報われない恋だと知っていて、成子に世界へ飛び立つ翼を与えた。いっそ「何故?」と聞いてしまいたかった。
  「歩む道が違えども、こうして今も繋がっているじゃないか…それでいい。この空が世界中と繋がっているように、この一瞬も、君と繋がっているのだろうから」
  「ヒ、ヒロシ?」
  「…救ってくれてありがとう」
  ヒロシはそういうと、見覚えのある手鏡を翳した。あの手鏡は…祖母の部屋にあった手鏡は…ヒロシのものだったのだ!おそらく、成子の旅立ちの日、軽口を叩きながら、餞別代わりだと言って渡したのだろう。…待って?おばあちゃんも、あの手鏡を持っていたっていう事は・・・!
  「諦めないで、ヒロシ!私、信じる!自分を、そしてみんなを!だから、あなたも…」
  俯いていたヒロシが顔を上げた。
  嬉しそうに、そして悲しそうにただ涙を流していた。別の可能性があることも、ヒロシには察していた。それでもその選択肢は選ばなかった。<リサの存在が消える>それだけは許容出来なかったのだ。
  「なんて奇跡に溢れた素晴らしい世界なのだろう…。」
  眩い閃光が、リサを包み込んでいった。
  「…変われるよ、君も、僕も」

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